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 放水路工事
昭和28年の台風13号による被害は大きく、これを契機に安心して暮らせる環境を整えてほしいという地元民の願いが高まり、野洲川改修の動きが始まりました。
工事のおもな経緯
新しい野洲川放水路ができるまでの歩みをまとめました。
工事年表
地域住民の大きな要望で始まった野洲川改修工事ですが、大きな問題が起きてきました。
【反対運動】
住民の要望から始まったものの、工事のやり方が具体的になってくると、「痛み」を伴う人たちの間から反対運動が起きてきます。
次の節で述べますが、洪水対策は既存の北流・南流の改修ではなく、2つの川に挟まれた平地に新しい川を開削する計画が決まったのです。この計画案では、多くの住宅と神社・寺の移転と190ヘクタールに及ぶ田畑を提供しなくてはならなかったのです。
また、1つの集落が2つの地区に分断されるという問題もありました。
測量のための杭を打とうとした時、先祖から受け継いだ土地を守りたいという反対運動が起きました。昔の百姓一揆の時のようにむしろ旗を立てて杭打ちの妨害をしたそうです。
その後の経緯は省きますが、大局的な見地から新川開削に賛成して頂いて、工事が進展しました。
【遺跡発見】
発掘物語の章に述べましたが、工事着工の数年後、服部遺跡が発見されます。これも新川建設という観点から見ると計画を遅らせる大きな問題でした。
広大な面積の発掘のため、多くの作業員が必要となります。住居の立ち退きを止む無きされた人たちも発掘調査に携わっていました。これらの方々の多くは、自分たちの土地の下に古代の遺跡があったということで、誇りをもって発掘に参加して頂けたそうです。
洪水対策の案

流水能力アップの改修目標

「野洲川はこんな川」のところでも述べたように; 中流域の川幅は広いところで500mもあるのに、下流域の河口から5kmあたりで南流・北流に分流しており、そのあたりの川幅はそれぞれ70m、150mしかなく、多量の雨水が流れてくると水位が急上昇し、洪水となりやすい地形でした。
洪水時の通水能力は川幅の広いところで4,500u/s 程度あるのに対し、中流域の石部頭首工(河川を横断して水流を止めるための堰(せき)を設け、用水路に水を取り入れるための施設)の通水能力はその当時で1,000u/sと極端に小さくなっています。さらに南北分流地点以降は、南流が350u/s、北流で500u/sと併せても850u/sしかありません。
野洲川改修のきっかけとなった昭和28年の洪水時には、水量が2,600u/sになっており、下流域の通水能力の3倍にも達していました。このため、広域での大洪水になったのです。
改修にあたり、川幅の広い個所の通水能力に合わせ、石部頭首工から下流までを4,500u/sにすることが目標とされました。
【注】石部頭首工は、別プロジェクトとして通水能力の向上対策工事が行われました。

国の調査で検討された3つの案

建設省は通水能力の向上策として、南北流を生かす方法と新しく川を設ける方法を検討しました。
野洲川改修案
野洲川改修の3案

これらの案が、目標とする通水能力4,500u/sを達成できるか検討され、最終的には第2案の新川開削が決定されました。

新川の構造

新川の構造としては、水位が低い通常時の水域(低水敷)と洪水で水位が上がった水域(高水敷)の2段階構造をとることになりました。
高水敷の川幅は330m、低水敷の川幅は220mになります。川床の幅は約200mです。高水敷と低水敷の間にはフラットな河川敷が設けられ、後日、公園やスポーツ施設が造られました。
服部遺跡が発見されたとき、高水敷と堤防、低水敷と河川敷は工事が進行しており、低水域水路を掘削し始める状況でした。

放水路断面
野洲川放水路の断面図 出典:野洲川放水路:近畿地方建設局 を一部改変

落差工の設置

河床の高さや勾配を安定させるために、河川を横断して設けられる施設を床固めまたは床止めといいます。床止めに落差がある場合はこれを落差工(らくさこう)と呼びます。
野洲川下流の南北流は曲がりくねって流路長が長くなっています。一方、ストレートに開削された放水路は流路が短くなります。南北流と放水路は同じ水位差であるのに流路長が異なる、すなわち、河床の勾配が違ってきて、放水路の勾配が大きくなってしまいます。
河床の勾配が大きくなると、水流の速度がはやくなり川底が不安定になります。水流調節の意味もあり、ここで落差を作って勾配を調節を行います。
落差工説明図 野洲川落差工
野洲川の落差工
出典:野洲川放水路:近畿地方建設局


放水路工事の進め方

段階的施行

目標設定された4,500u/sを持つ河道の完成を待って新川を通水するやり方では、工事が長期間にわたります。それまでの間は通水能力の低い南北流で洪水に対処しなければならず、洪水の危険度が高くなります。
このため、放水路事業の進め方として段階的な工程を採ることになりました。
第一段階が終了した昭和54年6月2日には放水路も完成し通水を祝う式典が開催されました。この時点ではまだ暫定通水計画であり、全体としての通水能力は2,600u/sで、昭和28年の洪水時の水量にぎりぎり対応できる能力です。
その後、堤防をかさ上げしたり、河床を掘り下げたりして通水能力を高め、段階を追って最終目標の4,500u/sを達成されました。
段階的通水
出典:野洲川放水路事業のあらまし:近畿地方建設局

工事区間割り

改修工事は既存河川の補強や新規開削、対象となる土地の状況などに依って工法が異なります。実際には次のような3つの区間に分け、工事内容、土質によって最適な工法が使われました。これだけの大規模な開削工事は初めてのことであり、新しい大型工事車、運搬装置が開発されたそうです。

工事区間
   工事区間割り 出典:郷土資料 守山市立教育研究所

・Aの区間:既存の川の整備・増強 / 大型建設装置使用
・Bの区間:水田地帯の開削 / 専用の開削機械を開発使用
・Cの区間:びわ湖の水位より低い水田地帯 / 浚渫船による工事


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