ホームページについて
なぜホームページを作るのか
野洲川が作った三角州〜扇状地には、全国に誇れる素晴らしい弥生時代の遺跡が幾つもあります。
守山市の下之郷遺跡、伊勢遺跡は国指定を受けています。服部遺跡や下長遺跡も素晴らしい遺跡です。野洲市では日本最大の大岩山銅鐸が出ています。栗東市には、伊勢遺跡と共に栄えた下鈎遺跡があります。
これだけ素晴らしい遺跡がかたまって存在する地は他にはありません。
しかしながら、多くの遺跡は長年にわたり、土地開発に伴って少しずつ発掘され、調査の後は大半が道路や住宅となり埋め戻されています。未調査地も含め、遺跡は地下に眠っており、その全貌を見ることはできません。
滋賀県や各市では重要な発見がある都度、広報に努めパンフレットや講演会を行って遺跡の紹介をしており、詳細な発掘報告書を出しています。しかし、その報告書も学術報告のため、市民には目に届きにくく理解しがたいものです。
このため、歴史的に貴重な遺跡にも関わらず、一部の歴史愛好家を除いて、一般市民にはその存在、内容、歴史的意義はよく知られていなのが実情です。
野洲川下流域がいかに歴史的意義のある土地であるか、優れた歴史文化を育んできたかを、多くの方々に正しく知ってもらうために、判り易いホームページを作成し発信することを企画しました。
数人の仲間でホームページ作りを始めたのですが、この考え方に賛同して頂ける仲間が集まって、NPO法人(特定非営利活動法人)化することにしました。
このような経緯で、2014年2月にNPO法人 守山弥生遺跡研究会は発足しました。野洲川下流域に所在する弥生遺跡の研究および普及啓発、情報発信を行い、地域の活性化および地域文化の醸成に寄与することを目的とする特定非営利活用法人です。
守山市の下之郷遺跡、伊勢遺跡は国指定を受けています。服部遺跡や下長遺跡も素晴らしい遺跡です。野洲市では日本最大の大岩山銅鐸が出ています。栗東市には、伊勢遺跡と共に栄えた下鈎遺跡があります。
これだけ素晴らしい遺跡がかたまって存在する地は他にはありません。
しかしながら、多くの遺跡は長年にわたり、土地開発に伴って少しずつ発掘され、調査の後は大半が道路や住宅となり埋め戻されています。未調査地も含め、遺跡は地下に眠っており、その全貌を見ることはできません。
滋賀県や各市では重要な発見がある都度、広報に努めパンフレットや講演会を行って遺跡の紹介をしており、詳細な発掘報告書を出しています。しかし、その報告書も学術報告のため、市民には目に届きにくく理解しがたいものです。
このため、歴史的に貴重な遺跡にも関わらず、一部の歴史愛好家を除いて、一般市民にはその存在、内容、歴史的意義はよく知られていなのが実情です。
野洲川下流域がいかに歴史的意義のある土地であるか、優れた歴史文化を育んできたかを、多くの方々に正しく知ってもらうために、判り易いホームページを作成し発信することを企画しました。
数人の仲間でホームページ作りを始めたのですが、この考え方に賛同して頂ける仲間が集まって、NPO法人(特定非営利活動法人)化することにしました。
このような経緯で、2014年2月にNPO法人 守山弥生遺跡研究会は発足しました。野洲川下流域に所在する弥生遺跡の研究および普及啓発、情報発信を行い、地域の活性化および地域文化の醸成に寄与することを目的とする特定非営利活用法人です。
野洲川下流域の弥生遺跡群のホームページ構想
守山市の遺跡・・と書きましたが、琵琶湖の東岸、野洲川が作った三角州〜扇状地には縄文から中近世までの遺跡が数多く存在しています。この扇状地は守山市や隣接する栗東市、野洲市に広がっており、ここにも多くの遺跡があります。
とくに、弥生時代の遺跡には素晴らしいものがいくつもあります。なかでも守山市には平成14年に国史跡に指定された大規模環濠集落「下之郷遺跡」や平成25年に国史跡に指定された大型掘立柱建物群が整然と並ぶ「伊勢遺跡」があります。
また、米づくりの水田遺構が日本最大規模で残っている弥生時代前期の服部遺跡があります。隣接する栗東市には青銅製品や鋳造部品が出る「下鈎遺跡」があり、野洲市からは数多くの銅鐸、日本最大の銅鐸が出ています。
このように 野洲川下流域は「弥生遺跡の銀座通り」とも言える地域です。
そこで、これら遺跡を「野洲川下流域の弥生遺跡群」としてホームページを作成し、遺跡の内容を広く発信していく計画を進めています
先ず、第一弾として、「下之郷遺跡および下之郷史跡公園のホームページ」を作成し、平成25年に公開しました。 続いて平成26年から、毎年1遺跡のホームページを作成し、公開してきました。
野洲川下流域には、ホームページの対象となる拠点集落だけではなく、多くの素晴らしい遺跡があって豊かな弥生社会を作っていました。このため、野洲川下流域には、どのような弥生遺跡があるのか、なぜ素晴らしい遺跡が多くあるのか、この地の遺跡の全貌を知って頂くために「野洲川下流域の弥生遺跡」のホームページを制作しました。
その後、私たちの活動にご支援いただいている考古学者の森岡秀人先生より、野洲川下流域からさらに範囲を広げて近江の弥生遺跡を取り上げて欲しいとの「激励」を頂きました。
近江の弥生遺跡を眺めてみると、全国の中でも特異な様相を示しており、その後は、「大岩山と近江の銅鐸」、「近江の玉作」のホームページを制作し、今年度は「弥生近江の大型建物」のホームページを制作・公開することになりました。
とくに、弥生時代の遺跡には素晴らしいものがいくつもあります。なかでも守山市には平成14年に国史跡に指定された大規模環濠集落「下之郷遺跡」や平成25年に国史跡に指定された大型掘立柱建物群が整然と並ぶ「伊勢遺跡」があります。
また、米づくりの水田遺構が日本最大規模で残っている弥生時代前期の服部遺跡があります。隣接する栗東市には青銅製品や鋳造部品が出る「下鈎遺跡」があり、野洲市からは数多くの銅鐸、日本最大の銅鐸が出ています。
このように 野洲川下流域は「弥生遺跡の銀座通り」とも言える地域です。
そこで、これら遺跡を「野洲川下流域の弥生遺跡群」としてホームページを作成し、遺跡の内容を広く発信していく計画を進めています
先ず、第一弾として、「下之郷遺跡および下之郷史跡公園のホームページ」を作成し、平成25年に公開しました。 続いて平成26年から、毎年1遺跡のホームページを作成し、公開してきました。
野洲川下流域には、ホームページの対象となる拠点集落だけではなく、多くの素晴らしい遺跡があって豊かな弥生社会を作っていました。このため、野洲川下流域には、どのような弥生遺跡があるのか、なぜ素晴らしい遺跡が多くあるのか、この地の遺跡の全貌を知って頂くために「野洲川下流域の弥生遺跡」のホームページを制作しました。
その後、私たちの活動にご支援いただいている考古学者の森岡秀人先生より、野洲川下流域からさらに範囲を広げて近江の弥生遺跡を取り上げて欲しいとの「激励」を頂きました。
近江の弥生遺跡を眺めてみると、全国の中でも特異な様相を示しており、その後は、「大岩山と近江の銅鐸」、「近江の玉作」のホームページを制作し、今年度は「弥生近江の大型建物」のホームページを制作・公開することになりました。
制作の考え方
このホームページで発信する内容は、主として守山市教育委員会、さらに滋賀県、各市の教育委員会から情報提供を受け、発掘成果に基づいて、NPO法人 守山弥生遺跡研究会が制作し発信しています。
制作に際し、「発掘調査で分かった事実をベースとして発信する」ことを基調としており、学術的にもしっかりした内容にするよう心がけています。 しかし、発掘された事実のみを列記することではなく、遺物とその分析結果から考古学的事実と推論されることを積極的に発信しています。
そのことによって、遺跡を鮮やかに浮かび上がらせることができ、皆様方にわかりやすく、興味を持っていただけるのではないかと考えました。
制作に際し、「発掘調査で分かった事実をベースとして発信する」ことを基調としており、学術的にもしっかりした内容にするよう心がけています。 しかし、発掘された事実のみを列記することではなく、遺物とその分析結果から考古学的事実と推論されることを積極的に発信しています。
そのことによって、遺跡を鮮やかに浮かび上がらせることができ、皆様方にわかりやすく、興味を持っていただけるのではないかと考えました。
【敬称略】 | |
ホームページ監修 | 大橋信弥 (守山市文化財保護審議会委員) |
ホームページ企画 | 高谷好一 (NPO法人守山弥生遺跡研究会、京都大学名誉教授) |
ホームページ企画・制作 | 田口一宏 (NPO法人守山弥生遺跡研究会) |
イラスト作成 | 中井純子 (NPO法人守山弥生遺跡研究会) |
資料提供・協力 | 守山市教育委員会 |
資料提供 | 滋賀県教育委員会 |