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 発掘調査と放水路工事のせめぎ合い
遺跡の存在が明らかになった後、4次にわたって発掘調査が行われることになります。
4次の発掘調査は順調に進んだ訳ではありません。開削工事を中断して遺跡調査を行うのですが、下層から次々と広大な遺構が見つかるため、遺跡調査を続けるか、放水路開削を優先するのか、この間で軋轢が生じながら、新しい発掘調査が始まるのです。
このように、放水路工事がきっかけで、幸いにも見つかった遺跡ですが、昭和54年、発掘調査の終了と共に、工事再開によって不幸にも消滅してしまった遺跡です。
通常、道路工事や大規模店舗開発などで見つかった遺跡は、調査後、埋め戻して遺跡が傷まないように保存対策をとって工事を続けます。遺跡は地下に埋もれてはいるものの破壊は免れています。
しかし、服部遺跡は洪水対策の放水路工事により消えてしまいました。
発掘調査の経緯
発掘の経緯について、建設省近畿地方建設局編「野洲川放水路工事誌」より抜粋して述べます。
発掘開始時は、「予備調査」、「本調査」などと呼ばれていたが、次々と新しい発見と発掘があって、次数が付けられました。新聞や報告書で次数が一致しないことがあり、ここでは、滋賀県&守山市教育委員会が最終的に報告書にまとめたときの発掘次数を使っています。

第1次調査 (当時は:予備調査) S49.11〜S50.3

建設省と滋賀県教育委員会(以下 県教委)で協議し、調査方針を決める。
【調査方針】
  1. 調査予定面積 120,000u (全体は不明)
  2. 調査区域は河道部とし、掘削除去する予定の低水路部とする。高水路部は盛土を行うので、現状保存とする。
  3. 保存方法は記録保存とする
    (発見された遺跡が周知の遺跡ではないこと、工事が進捗していて、河道法線等の変更による保存は考えられないために記録保存となった)
  4. 発掘調査の費用は全額事業者(建設省)とする。ただし、出土品の保存に係る費用は除く。
【調査内容】
  1. 調査期間 昭和49年度末
  2. 対象面積 120,000u
  3. 調査機関 (財)滋賀県文化財保護協会
  4. 調査費 29,000千円
【予備調査の結果】
  1. 遺跡の範囲は、当初の予想区域より下流約200mに広がる。また、遺構面は3面になっている。
      注記:新聞報道によると、予備調査は 服部大橋の上下流200m 80,000uで実施・・となっている
  2. 農道2号橋(服部大橋)より下流域は、奈良・平安時代の集落跡の出土品から推察して荘園跡か社寺跡も含まれる
  3. 上流地域は弥生および古墳末期とみられる竪穴住居、穀物庫跡等がある ということで、県教委の見解は今後3年間程度の本調査が必要というもの

第2次調査(当時は:本調査) S50.4〜S51.3

建設省においても本調査が必要になったことにより、工事が遅れることが心配されたが、地元では 通水時期が延びるとしてあくまでも治水工事を優先すべきとの要望が強かった。 これらを踏まえ、3者会議で協議を重ねた結果
【調査方針】
  1. 昭和50年度内に本調査を全部終了する
  2. そのための調査体制として県教委5名の専門技師のうち3名を本調査にあてる。
  3. さらに地元の守山市においても専門技師を採用して調査を分担する。
【調査内容】
  1. 調査期間 50年度末とする
  2. 調査機関 (財)滋賀県文化財保護協会
  3. 調査費 93,240千円
【本調査の結果】
51年3月になって県教委側から、本調査は全体の40%程度の進捗であり、下層より新しい遺跡の発見もあって調査をさらに2年延期したいとの申し入れが出された。

第3次調査(当時は:追加調査) S51.7〜S51.10 S50.4〜S51.3

S51.3末に、3者協議で取り決めた通り、発掘調査は一時打ち切り。
県教委のみならず、文化財を守るグールプからの調査継続要請もあって、3者協議を重ね、7月になって調査再開に関する協定書を取り交わした。
【調査方針】
  1. 工事が遅れないこと(暫定通水予定 S54.6)
  2. 調査期間は 51年10月までとし、11月には工事に着工する
  3. 調査費 140,000千円
【第3次調査の結果】
終了間際に、下層から新たな遺構が発見され、調査継続の希望が表明された。しかし、地元では、工事促進の希望が強かった。

昭和52年度の発掘調査は中断 (昭和51年11月〜53年2月)


第4次調査 S53.3〜S54.3

文化庁と建設省は、この新たな層の遺跡調査について協議し
【調査方針】
  1. 文化庁は、沿川住民の生命財産を守るために、野洲川改修工事を促進する必要があることを理解して暫定通水に必要な工事を行うことを了承する。
  2. 建設省は、上記工事完了後、文化庁が住民の了解を得て残った遺跡の調査を促進することを了承する
発掘調査と放水路工事
「野洲川放水路工事誌」にも、文化財保護か洪水対策工事優先か・・・について少し触れてありますが、新聞記事から当時の生々しいせめぎ合いを見てみましょう。

S49年夏 遺跡発見

野洲川改修事業で橋梁工事予備調査中に、地下1mから弥生土器の破片が見つかる
京都 昭和49年10月2日
    野洲新川 改修工事とまる 〜弥生期?の土器が出土〜
読売 昭和49年10月2日
    新しい川床に古代遺跡? 〜守山の野洲川改修で〜 多量の土器片
京都 昭和49年10月16日
    服部遺跡 集落遺構の発見を期待 
    21日から第一次調査 〜県教委 規模や性格を探る〜

S49年夏 遺跡発見

服部大橋(農道2号橋)を中心に上下200m、8万uで5か所を発掘し確認調査が行われる

昭和50年4月〜昭和51年3月末 本調査

続いて、1年間の発掘調査が行われる(第2次発掘調査)
京都 昭和51年2月13日
    〜守山・服部遺跡の発掘調査〜 3月末で打ち切り 〜野洲川改修で埋没へ〜
滋賀日日  昭和51年2月13日
    全面発掘できず 〜改修工事で打ち切り〜
中日 昭和51年2月14日
    続々と興味深い出土品 〜守山市の服部遺跡 発掘調査は大詰め〜
    周溝墓が17基も 〜木簡や多量の銅銭も〜

昭和51年3月末 期限切れで発掘調査を中断

しかし、発掘調査は全体の約40%しか進んでいない。しかも、下層より新たな遺跡の発見があった。史跡保存か洪水対策優先かで議論が沸騰する
サンケイ 昭和51年4月16日
    住民の生命、財産を優先 野洲川改修工事再開を要望  〜守山市長ら知事と教育長へ〜
読売 昭和51年4月24日
    守山市の服部遺跡調査 打ち切り黙視できぬ 〜考古学者ら建設相に継続訴え〜
サンケイ 昭和51年4月24日
    住民の生命優先か、史跡保存か 〜議論を呼ぶ服部遺跡の発掘〜
    連名で継続要望 学者グループ 〜雨季控え、守山市と対立〜
朝日 昭和51年6月7日
    服部遺跡完全調査を 〜文化遺産を守る会 県などへ要望書〜
サンケイ 昭和51年6月12日
    野洲川改修 実力行使も辞さぬ 〜地元民が知事に再開要望〜
滋賀日日 昭和51年6月21日
    服部遺跡めぐり議論平行線 地元:洪水防止が先決 県教委と学界:支障与えず調査 

昭和51年7月〜10月末 第3次発掘調査実施

発掘調査を「補足調査」の名目で4か月延長することで合意
京都 昭和51年7月3日
    服部遺跡問題 発掘延長で"合意" 〜10月末まで調査 県教委、きょう地元と調印〜
京都 昭和51年7月4日
    発掘調査継続を確認 〜守山の服部遺跡 市・県が協定書調印〜
中日 昭和51年7月4日
    "突貫"で調査再開 〜服部遺跡問題協定書に調印 護岸工事も並行
京都 昭和51年7月29日
    今度は琴柱が出土 〜守山の服部遺跡 四弦琴、完全な姿に〜
サンケイ 昭和51年7月31日
    古墳時代の"琴"みつかる ほぼ完全な姿 〜古代音楽のナゾ解くか〜
京都 昭和51年8月30日
    発掘調査を続行 〜「守る会」が声明 10月打ち切りに不満〜
朝日 昭和51年9月14日
    野洲川の服部遺跡 発掘調査打ち切りを 改修遅れもう限界 〜守山市長、態度決める〜
中日 昭和51年10月17日
    古墳発達史に貴重な大量資料 方形周溝墓が25 "時間切れ"前に発見

昭和51年10月末 第3次発掘調査終了

3か月の発掘終了間際に大規模な弥生遺跡が見つかる、が、発掘は中断し放水路工事が再開される
再び、遺跡発掘か放水路工事優先か、訴訟や国を巻き込んでの論争が始まる
滋賀日日 昭和51年10月30日
    野洲川改修 1日再開に待った
    元地主二人 大津地裁に仮処分申請 遺跡が破壊される 〜国との売買契約無効〜
京都 昭和51年10月30日
    工事再開直前、延期求める訴訟 元の土地所有者2人
    「調査完了まで」と 〜地建、守山市など深刻〜 
中日 昭和51年10月31日
    服部遺跡問題 調査継続要望が続々 〜仮処分申請への地裁決定あす以降〜
    守山市は「終了」再確認
京都 昭和51年11月2日
    野洲川改修現場の服部遺跡 二年ぶり、工事を再開 〜「調査・保存」問題を見守りながら〜
朝日 昭和51年11月2日
    服部遺跡地域 野洲川改修工事を再開 五者協定期限切れ 〜裁判所の決定に注目〜
朝日 昭和51年12月9日
    「調査延長申し入れぬ」 服部遺跡問題で知事
滋賀日日 昭和51年12月13日
    危機にさらされる服部遺跡
    議論呼ぶ工事再開 〜埋蔵文化財へ問題提起〜
朝日 昭和51年12月16日
    再調査の可能性強まる服部遺跡 地元住民は強い反対
    野洲川改修工事 結論出るまで中止 〜近畿地建 文化庁の申し入れで〜
滋賀日日 昭和51年12月16日
    新たな遺跡発見 記録保存措置を
    〜服部遺跡 文化庁が申し入れ〜 工事前に調査必要 〜建設省と協議 近く再発掘か〜

文化庁、建設省が協議、河床掘削し暫定通水を行った後に発掘調査を再開することで決着

遺跡調査か工事優先で議論沸騰するも、暫定対策を取った上で調査を再開が決まる
朝日 昭和51年12月26日
    守山・服部遺跡 河床掘削後に調査 〜文化庁と建設省が協定〜
滋賀日日 昭和51年12月26日
    改修工事に協定 〜文化庁・近畿地建が調印〜
    服部遺跡問題に一応"結論" まず暫定通水着工 〜文化財関係者 破壊恐れる声も〜
サンケイ 昭和52年1月12日
    はがされる古代のベール 
    〜滋賀・服部遺跡〜 本格調査、再開へ 〜貴重な資料、発掘に注目〜

昭和53年3月〜昭和54年3月末 第4次発掘調査

暫定放水路工事を行った後、第4次発掘調査を開始
読売 昭和53年3月11日
    遺構(弥生時代)出土に自信 〜守山の服部遺跡 県教委が3次調査〜
朝日 昭和53年3月14日
    3次調査始まる 〜守山の服部遺跡 1年5か月ぶり〜
読売 昭和54年1月10日
  一歩でも古代に迫れ 服部遺跡 〜3月いっぱいの期限目前〜 急ピッチの発掘調査
中日 昭和54年1月23日
    2千年前の木棺出土 〜守山の服部遺跡 今後の調査に注目〜
中日 昭和54年3月24日
    6年がかりの調査完了 〜5月下旬、新川通水で川底に〜
    わが国最古で最大級 守山市の服部遺跡 〜古代史に貴重なデータ〜
京都 昭和54年4月20日
    守山市の服部遺跡 全容解明に急ピッチ 〜住居跡など次々発掘〜

昭和54年3月末 第4次発掘調査終了