ヘッダー画像
 ホーム > トップ


お知らせ

【下長遺跡HP公開記念講演会】
H30年2月12日 「イズモ王権は伊勢遺跡と関わるか?」を森岡秀人さんに講演して頂きました 。大勢の方、また、遠方からも参加いただきありがとうございました。
詳細はこちらから ⇒ 記念講演会 詳細

【意見の広場に新規投稿】
H30年1月12日 野洲川下流域のHPに、次の2件を掲載しました。
 (項目をクリックすると、内容が表示されます)
【下長遺跡ホームページ公開】
H29年12月15日 下長遺跡のホームページを公開しました。
下長遺跡は、卑弥呼の時代に栄えたびわ湖水運の一大拠点です。
卑弥呼政権と密なつながりを持ったクニの姿が見られます。
左のバナー(アイコン)よりリンクしてください。

【Webコンテスト入賞】
Web大賞 H29年6月20日 当HPが、「滋賀ICT大賞2017」コンテストで
優秀賞を受賞しました。
滋賀県地域情報化推進会議が開催していたウェブサイト
コンテストの地域活動部門で受賞しました。

【服部遺跡HP記念講演会】
H29年2月5日 本ホームページ「服部遺跡」の公開記念講演会を開催しました。
@ホームページの概要について(NPO法人 守山弥生遺跡研究会 理事長 田口一宏)
A古墳文化へのトレース 狗奴国の行方 (NPO法人 ニワ里ネット 理事長 赤塚次郎氏)
詳しくは、こちらをクリックして下さい ⇒  講演会概要
 服部遺跡のここが凄い!
歴史の流れを封じ込めた複合遺跡
滋賀県守山市の服部遺跡は、縄文時代から弥生・古墳・奈良・平安時代の遺構が層をなして、地下3mから1.5mの範囲に積み重なっている複合遺跡です。
各時代の遺構が同じ層で入り混じっているのではなく、サンドイッチの様に異なる層に積みあがっています。このため、同じ場所でありながら、各時代の遺構が分離して歴史の流れが読み取れる定点観測ができる遺跡なのです。
複合遺跡
地層と遺構のモデル図 (図:田口一宏)
地層

遺跡分布標準断面図
出典:「野洲川放水路」 発行:近畿地方建設局

これは野洲川がたびたび大洪水を起こし、遺跡を押し流す一方で遺構の上に数10cmの土砂を積み上げて、それが遺構をタイムカプセルのように保護する役割を果たしました。 破壊された遺跡の住人にとっては不幸なことでしたが、我々現代の者にとっては、歴史の遺産となって残されました。

度重なる洪水による埋没と再生を繰り返した遺跡
服部遺跡は、野洲川が創り出した沖積平野の三角州にあたる場所に営まれました。
稲作技術が未熟だった頃、この地は初期の稲作に適しており、広大な水田が開墾されました。
しかしその一方で、野洲川は度々氾濫し大洪水を引き起こしました。広大な水田も洪水で押し流されたり埋没して、荒れ地になり人の気配はなくなります。その後しばらくして人々は集落と方形周溝墓群を築きました。
その集落とお墓も、また大洪水で埋没します。
その後も、このような洪水による破壊・埋没と再生を200〜300年間隔で繰り返し、各時代の遺構が積み重なったのが服部遺跡です。
当時の人々のたくましさを感じると共に、現代人も津波災害の恐ろしさを忘れてしまい、その跡地に住みつく様(さま)に似たものを感じざるを得ません。

野洲川放水路工事で幸いにも見つかり工事の完成とともに消え去った遺跡
服部遺跡の発見と消滅もドラマティックです。
野洲川は近世になっても度々大洪水を起こしており、その対策として行われた放水路工事によって遺跡の存在が判り、工事の進捗により破壊され、完成に伴って発掘部分は消えていきました。
服部地図
服部遺跡の位置
服部鳥瞰
放水路と発掘の範囲(地図とは逆向き)

野洲川は上にも書いたように度々大洪水を起こしていました。野洲川は途中で北流と南流に分かれていましたが、これらの川は治水対策で堤防が幾度も積み上げられ、いわゆる天井川となっていました。この川がたびたび大洪水をもたらすため、その対策として昭和46年に南北流の間に放水路を造る工事が開始されました。
昭和49年になり、工事の途中で下層に遺跡があることが判りました。このため、開削工事を中断して遺跡調査を行うことになりました。放水路工事がきっかけで、幸いにも見つかった遺跡ですが、昭和54年、発掘調査の終了に伴い工事が再開され、発掘部分は不幸にも消滅してしまった遺跡です。
たった5年半の運命でしたが、野洲川下流域の集落跡の盛衰をうかがう貴重な情報を得ることができました。
ただ、遺跡としては、堤防の下や河川敷の外側の水田部分に広い範囲で(推定では、発掘された部分の倍以上)遺構・遺物が残されているでしょう。

 服部遺跡のあるところ
服部遺跡は、滋賀県のびわ湖に面した守山市にあります。
びわ湖に流れ込む多くの川のうち最も大きいのが野洲川で、守山市はその下流域平野にあたります。
野洲川は、長い歴史の中で流れを幾度も変え、大きな扇状地〜氾濫原〜三角州を形作ってきました。
服部遺跡はその氾濫原に近い三角州に位置します。 その当時の三角州は今ほど広がってはおらず、服部遺跡の西側は湖岸となっていました。
この地形から判るように、服部遺跡は幾度となく洪水に襲われ埋没したのです。

 服部遺跡へのアクセスはこちらをご覧ください ⇒ 行き方

服部鳥瞰

 埋蔵文化財センター
埋蔵文化財センター 守山市立埋蔵文化財センターは、野洲川改修工事の際に発見された服部遺跡の調査で収集した膨大な資料を調査・収蔵保管するために設置され、昭和55年11月に開館しました。 守山市の他の遺跡の遺物も収蔵保管され、常設展示のほか、春秋には特別展示がされます。また、歴史講座など定期的に行っています。
所在地:守山市服部町2250
開館時間:午前9時〜午後4時
休館日:火曜日、祝日の翌日、年末年始
入館料:無料


本ホームページの中で使用している「遺構・遺物の写真」は、特に明示がない場合:
・滋賀県教育委員会 および/または 守山市教育委員会 の使用許可を受けています。

top tugi